仙台にshinkoさんから頂いた、気仙沼の保育園へ支援品を持って行かれた時の
ことを、送ってもらいました。
shinkoさんとKさんは、ずっとっずっと仙台市から、宮城のほかの
津波の被害がひどかった所への支援をずっと続けています。
こういう地元の方が居てこその「支援」だと身につまされます。
素晴らしい方々です。
みんなもう忘れがちな、この次期に・・・
どうぞ、みなさん現状を知りながら、shinkoさんの報告を読んでください。
以下、 SHINKOさんからの文章です。
金子さんと再び気仙沼へ行ってきました。
前回、短時間の訪問だった松岩保育所さんへ
(届けて下さった食器は、松岩保育所にお届け致しました)
金子さんの『わらべうた』を子ども達、先生方と楽しんできました。
金子さんのあったかい雰囲気の『わらベうた』!
まるで、日だまりの様でした。
金子さんの『わらベうた』を楽しみにしていて下さった子ども達と先生方!
ホールに入ると『あ〜見たことあるよ〜』『前に来たでしょ〜』などなど、
前回の短時間(約30分弱)訪問にも関わらず、子ども達が覚えていてくれました。
お人形に、おんぶひも、お布団など子ども達も先生方も『わ〜』っと喜んで下さり、
女の子達は、お人形をおんぶして小さな「お母さん」。
お母さんになったまま、先生方と一緒に『わらべうた』を楽しみました
小さなお母さんは、『わらベうた』の合間、合間に『ニコ〜』っ と笑顔で、おんぶを確かめ、満足そう。
お人形とおんぶ紐は、藤田さん関係からのご支援です
ふかふかお布団は、金子さんの手作りです
『♪はなさか ひらいた はさみでちょんぎるぞ』の際に、
『イヤイヤ』が出来る、年少の男の子いました。
『やらなくていいから、ちゃんと見ててね』の金子さんの言葉に、金子さんをよく見る姿がありました。
その後、『よく見ていたね』と金子さんに褒められ、男の子は、その後も『わらべうた』を楽しんでいました。
イヤイヤも自己表現なんですね〜
今回、特に人気だったのは、『かっぱ』のテーブル劇!
前回の『か っぱ』を覚え ていたようで、子ども達が大喜びで歓声が上がりました。
『かっぱ』と一緒に首を振る子どももいました。
(谷川俊太郎さんのかっぱ かっぱらった・・・の詩です)
帰る際には、『また来てね!』『バイバ〜イ』と嬉しい子ども達の見送りがありました。
今回は、9時30頃から11時30近くまで、小さな子どもも集中して金子さんの『わらべうた』を楽しんでいました。
今回は、私も少々時間を頂いて、積み木で子ども達と触合ってきました。
子ども達は、小さな年少さんを含め、みんな集中して楽しんでくれました。
先生方も楽し そうで! その笑顔が優しくて、あったかい雰囲気の保育所です。
けれど・・・保育所の外は・・・
『松岩保育所』は、少し高台になっているのですが、その坂道のアスファルトが津波で削られ、
ボコボコ状態。坂道のフェンスも壊れたまま・・・危険です。
震災時には、アスファルトが坂の半分くらいのところに流された住宅があったそうです。
坂の下は、壊滅状態だった痕が、痛々しく残っています。
その後、津波でながされた一景島保育所があった場 所に・・・
その場所は、砂利で道路がかさ上げされているものの、震災当時のままの様子でした。
瓦礫、燃えた痕の残るバスやアパート。
一景島保育所の先生方は、近くのビルの上に避難。
その咄嗟の判断と、機転、行動力が無ければ、多くの子どもの命を守ることは出来なかったと思います。
寒い中で子どもたちを守り、迫って来る津波とともにくる『炎』・・・
『火』こないで!と願いながら、子ども達を守っていたそうです・・・
当時の先生方を思うと頭が下がります。
帰りは、海岸沿いを帰ってきたのですが 、復興は・・・まだまだ。
車は、通れるようになったけれど、なぜ、自衛 隊帰ってしまったの?
重機が、人手が足りなすぎる。
本当に津波酷すぎる。
金子さんがおっしゃっていたのですが
気仙沼・・・市の予算、保育の予算・・・
削られて行くと思うとの事。
避難用品など不足しているのでは?
なんとかしなくては!と、金子さんと相談しながら帰ってきました。
先ずは、昨日の気仙沼です。